理解者さえいれば… – ユニバーサルイベント協会 理事 小松 誠
2026年04月06日 コラムユニバーサルキャンプの計画を聞き、ユニバーサルイベント協会(UEA)にかかわるようになって、20年が経ちました。
ボーイスカウトや青少年教育の指導者としての活動も45年以上が経ちました。
子供たちから先輩まで、多くのさまざまな年齢・特性の方たちと出会って思うことは、「理解者さえいれば、障碍者は障碍者ではなくなる」ということです。
3月末で、すべての東京メトロの駅にホームドアが設置されたことに象徴されるように、「バリアフリー」とか、「ユニバーサルデザイン」といった、モノ・ハードに対する配慮と工夫は大きく充実・進歩し、「合理的配慮」を義務付ける法律「障害者差別解消法」(2013年 注釈1)もできました。
しかしながら障碍者も健常者も、だれもが暮らしやすい社会「共生社会」の実現はまだまだ先のようです。
「障害は社会が作り出す」という言葉がありますが、多くの障碍者、とくに発達障碍については、そのことを強く感じます。
我々の仲間、UEAの活動参加者の中にも「周りに理解者がいないために」もがき、苦しんでいる人もいます。
私は病弱で毎日学校に行く体力がなかったことに加え、こだわりが強くて学校に行きたくない日もあったので、今日の基準では「不登校児」でした。
授業がつまらないと遊びだし、「うるさいから教室を出て行け!」と言われれば喜んで出ていきました。
ただ常に理解してくれる教師や仲間のおかげで、出席日数も行動も特に問題にならず、健常者と一緒に大学まで卒業できました。
問題にならなかったというのは嘘で、お袋はたびたび学校に呼び出され、私も「学校をやめろ」と何度も言われました。
周りの人たちは大変だったと思いますが、私はそういうことが気にならない、関心・興味がなかっただけです。
が、だれも私に対して「お前は障碍者だ」と言う、決定的な言葉を言わなかったおかげで、何事もなく卒業できたのです。
それだけではなく、理解者といえる先生や仲間に恵まれました。
「自分の好きな進度で勉強していいから、やったことをちゃんとノートに書いて持っておいで」と、個別指導をしてくれた小学校4年の担任の先生。
先生のおかげで、4年生のうちに小学校の勉強を終え、興味のあることを挑戦することができました。
キャンプやハイキングを共にしたボーイスカウトの仲間たちのおかげで、自分のできることを中心に仲間と協力して生活し、プログラムにチャレンジすることで、少しずつ社会性を身に着けることができました。
そして何より無条件で私を支えてくれたお袋のおかげで、何とか社会に出ていくことができました。
社会に出てからも、会社の上司・先輩・同僚、そして家族はもちろん、取引先の方々にも恵まれ、環境問題を軸にサラリーマン人生を全うすることができました。
大学を卒業した1983年は、1990年から始まる「オゾン層保護(フロン規制)」の国際的枠組みが議論されていましたが、日本政府の技術委員として参加していた方に直接指導を受け、その後のキャリアの方向性を定めることができました。
退職した今も、そのキャリアが生きる仕事の依頼も来るのはありがたいことです。
高校まで地方都市で過ごし、大学から東京に出てきて、結婚し、2人の子どもに恵まれ、5人の孫と楽しく過ごす。という、絵にかいたような人生を私が送ることができているのは、常に理解者がいてくれたおかげです。
そして、今もUEAや青少年教育・障碍者支援に関わっているのは、誰かの理解者としてお役に立つことができるかもしれないという思いからです。
誰かの悩みを聞き、その人が孤立しないで生きていけるよう、ほんの少しでもお役に立つことがあれば、恩返しができたといえる人生かもしれません。
実はあなたも、周りの誰かの理解者になっているのかも?
もし気になっている人がいたら、明日 勇気を出して一声掛けてあげてください。 ひょっとしたら、その一声は手話かもしれません。


注釈1
2013年に「障害者差別解消法」(正式名:「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が制定され、行政機関には合理的配慮が義務付けられました。
その後の改正により、2024年からは民間事業者にも合理的配慮が義務化されています。

