ユニキャンに対する思い ― 常務理事・事務局長 守屋和彦
2021年06月30日 コラム初めてユニキャンに参加したのは第5回の時でした。切っ掛けは会社のボランティアで現地で知り合った人からの紹介でした。最初は興味本位とお酒が飲める「楽しそうな」キャンプということで参加したのですが、この参加が今まで心の奥にあったモヤモヤを吹き飛ばし自分の「居場所」が発見できたキャンプでした。
私には知的障がいを持った姉がいたのですが、 子供のころ男子の間では必ず姉や妹がいると「お前の姉ちゃん可愛いか?」とか「今度、妹を紹介しろよ」など思春期の男子が話す他愛のない会話が良くあります。私に姉がいるということは友達もわかっていたので同じような質問が飛んでくることがありましたが、「まーなぁ」とか「今度ね」とかその場をごまかすような事しか言えなかったです。それは、恥ずかしいというよりも姉のことをを話しても理解してくれないだろうなという気持ちの方が大きかったと思います。
また社会人になると様々な会話の中で「お姉さんはご結婚されているの?」という質問も良くありましが「まだ結婚してなく、家にいますね」というのがいつもの自分の答えでした。
それが初めて参加したユニキャンでは「普通」に知的障害をもった姉のことを話せることができたのです。それは、参加している人たちやスタッフとキャンプで一緒に時間を過ごすことで、「信頼」と「安心」を感じたのだと思います。その後、姉をユニウォークやそば打ちにも連れていき、姉も自分のことを理解してくれる人たちが周りにいるという安心感でとても楽しい時間を過ごしたといっていました。そして私は理事になってしまいました(笑)
結局、そんな自分の「居場所」となったユニキャンに姉を連れていきことができなかったのですが、今年のユニキャンも昨年に引き続きコロナの影響で中止となりました。三年前に台風で中止になってから三年間も八丈島で実施できていないのはとても残念です。あの八丈島の青空、波打つ底土海岸をこの体で感じたいと思います。
このコラムをお読みになっている方でまだユニキャンに参加されてない方がいらしたら、自分の特別な環境や特性がこのキャンプではそれは特別ではなく誰もが受け入れてくれる場所になると思いますのでぜひ参加してみてください。
姉は令和2年1月に乳がんのために息を引き取りました。 ですので、ユニキャンやユニバーサルイベント協会が主催するイベントに連れていくことはできません。 最後の言葉は息を引き取る前の日に寝返りを手伝った時で「ありがとう、ごめんね」という言葉でした。今でもその場面が目に浮かびますが、この言葉には今までのこと、そしてこじつけかもしれませんがユニウォークやそば打ちで楽しく過ごしたことも含まれていると信じています。
以上